櫻井敦司と椎名林檎と新自由主義

私は、BUCK-TICK、特にボーカル櫻井敦司のファンである。

 


2ヶ月ほど前だろうか、ツイッターでこんな話題を目にした。

椎名林檎櫻井敦司の衝撃コラボ!”

はええええー!と叫んだ。

なんで…なんで…?

浅井健一吉井和哉宮本浩次に次いで櫻井敦司まで⁈

またいつもの”前からファンで、実は一般人のフリしてファンクラブに入ってた”という手口に引っかかった⁈

 


というのも、私は椎名林檎が前から大嫌いなのである。

なぜ嫌いか説明すると長くなるので、とりあえず昔mixiでアンチ椎名林檎コミュニティに入っていたほど嫌いだ。

嫌いなきゃ聞かなきゃいい、見なきゃいい、実はファンなんじゃない?…ごもっとも。

そりゃ私もそうしたい。しかし、日本のロックバンドのファンをやっていると、必ず椎名林檎の名前が出てくるのだ。そして、周りの音楽仲間の多くは好きなのだ。私は彼らのことは人として好きだ。だから言えない。そして善意でおススメしてくる。椎名林檎は苦手かもしれないけど、東京事変は良いから聞いてみて。YouTubeもおススメしてくる。

その度に、私はyoutubeで”興味なし”を押して教え込んでいるのだが、それでも出てくる。

アンチ椎名林檎コミュニティにはそういう人が多かった。

 


別に、NIPPONの歌詞が右翼的だから嫌いになったとかそういう理由ではない。そもそも椎名林檎に思想も何もない。

 


一つの例を挙げよう。

 


https://withnews.jp/amp/article/f0141117000qq000000000000000W0110601qq000011118A

 

 

 

これ、ものすごく浅はかじゃないか?

自分が”死について考える人間になりたい”から、死を意識する。

 


櫻井敦司は”死”と本気で向き合ってきた人間だ。少なくとも私はそう思っていた。

それは、決して”死について考える人間になりたいから”ではない。彼の生い立ち、経験から彼と死は切っても切り離せない関係なのだ。私はそこから紡ぎ出される櫻井敦司の音楽を心からリスペクトしていた。だからこのような人間に利用されることがただ悲しい。

 


…これらは、全て私の一方的な思いだとわかってはいるが。

 


続いて、ワールドカップの件だ。

ワールドカップのテーマソングを依頼されて、なぜ思い浮かぶのがJリーグなのか?

フーリガンみたいになる人がいる”って、実際、本物のフーリガンがいるのがワールドカップではないのか。

 


…こんなの、小学生でもわかることではないか?

 


椎名林檎にとってみれば、

 


“清水で過ごしたこのアタシがサッカーについて一曲書くとしたらJリーグ清水エスパルス

 


と言う理屈だろう。長年のアンチをナメるなよ。

 


でも、プロのミュージシャンとして、ワールドカップに関わる仕事が来たら、せめてウィキペディアでもワールドカップフーリガンについて調べたりしないのか?プロってそういうものではないのか?私はその傲慢さが気に入らない。

 


ある意味、現在の”NIPPON”を象徴しているかもしれない。その意味ではぴったりなテーマソングだったかもな。

 


どうせ、私がいくら嫌いだ、と言ったところで、椎名林檎には何の影響もないだろうし、東京オリンピックの音楽も担当するだろう。

 


たとえ私が命をかけて開会式会場で切腹して見せたところで、死体はせっせと片付られ、失敗したら病院から刑務所に行くだけだ。

 


だから私はここで一増田として、椎名林檎が浅はかだと言う権利がある。そして、言う。


私は椎名林檎が大嫌いだ。出来れば、一生聞かずに生きていきたい。

 


しかし、椎名林檎の音楽は暴力となってワールドカップ東京オリンピックというイベントとタッグを組んで私の鼓膜を殴りつけてくる。

 


椎名林檎が嫌いな人は東京オリンピックの開会式も見るなと言うのか。

 

 

 

櫻井敦司にとっては、こんな名もなきファンの意見より、椎名林檎のオファーを引き受けて一緒に歌番組に出た方が良いに決まっている。実際にツイッターなどではかなり話題になった。

 


彼の美しさや楽曲、歌声が一人でも多くの人に伝わればいいと思っていた長年のファンにとって、音楽業界が厳しい状況の中、こんなに喜ばしいことはない。

 


私の人生はBUCK-TICKと共にあった。

自分の信じる道を突き進めば、神様は絶対に自分に微笑んでくれる。文句を言うやつは努力が足りない、運も実力のうち、成功する人は運も味方につける…ずっとそうして生きてきた。そうして今、自分がなりたいと思っていた仕事にも就いている。

 


その仕事は、初めに目指していたものとは全然違うものだ。それでも私は自分の信じる道を歩いてきたから、この仕事に出会えたのだと思っていたし、この仕事で社会貢献をしようと思っていた。人から妬まれることも多かったし、悔しい思い、嫌な思いも沢山してきた。それは全部私が羨ましいからだ。悔しかったら私のようになってみろ…

 

 

 

…私は、なんて傲慢な人間なんだろうか。